融点= 961.9℃  沸点= 2212℃
銀は貴金属のなかでは反応性が大きく、酸素の存在で硫化水素と、水の存在でオゾンや二酸化硫黄と反応します。温泉地帯で銀製品が黒変したり、一般家庭でもすぐに光沢を失うのはこのため。バクテリアその他下等生物に対しては微小濃度でも強い殺菌力を示す。この現象は古くから経験的に知られており、飲料水の腐敗防止に銀製容器が、また負傷者の手当に銀箔が使用されてきました。
銀は古くより高貴な工芸品に用いられたほか、貨幣の材料としても重宝されました。また、銀の装身具は魔除けの意味をもち、地域によっては金よりも喜ばれます。

古墳時代中期からは金、銀、金銅による冠、耳飾、帯金具などが発達し、細線細工、毛彫、透彫といった技術も多彩に駆使されました。とくに象嵌技術や鍍金技術にみるべきものがあり、太刀や馬具のなかには竜文や忍冬文 (にんどうもん) を透彫して金鍍金したもの、環頭柄頭 (かんとうつかがしら)、馬具の杏葉や鏡板などに銀象嵌を施したものが多い。なかでも埼玉県稲荷山古墳、島根県岡田山古墳出土の太刀にみられる金象嵌銘、熊本県江田船山古墳出土の太刀の銀象嵌銘は著名である。鉄器も弥生時代以降日本で生産されましたが、古墳時代に入って甲冑や刀剣、馬具が盛んに制作されました。とくに短甲は鉄板を打ち出して曲面を作り、これらを何枚も組み合わせ、鋲留めまたは革綴じしたもので、進んだ鍛造技術を示しています。

鍛金技法の一つである押出 (おしだし) 技法が、白鳳から奈良時代にかけて流行しました。法隆寺《玉虫厨子》扉背面の千仏銅板や阿弥陀三尊および比丘形像などは、刻印するように銅板の裏から仏像形で打っており、また法隆寺、唐招提寺などに伝わる大型の押出仏は、半肉彫の鋳造製原型に薄い銅板をのせ、上からたたいて浮彫風に肉付けされています。彫金技法でこの時代を代表するのは法隆寺に伝世した金銅灌頂幡。天蓋の下に長さ 5mに及ぶ長幡を下げたもので、仏、菩醍、奏楽飛天、忍冬唐草文を透彫した銅板を組み合わせて構成されています。正倉院もまた金工の宝庫であり、鏡、錫杖、柄香炉、銀壺などの鋳造品、薫炉、盤などの鍛造品と多種多彩の金工遺品を現代に伝えています。

この時代は武具甲冑の飾金具の彫金技術にもみるべきものがあります。武具に限らず金工は前代に比べて重厚な趣があり、鏡は厚手となって鏡背文様は写実的となりました。仏具でも磬 (けい) や梵鐘、鰐口なども重厚な感じのものが好まれたことが特徴です。室町時代には太刀にかわって打刀 (うちがたな) の製作が盛んとなったが (日本刀)、それにともなって鐔 (つば)、目貫 (めぬき)、 心(こうがい)、小柄 (こづか) など刀装にみるべきものが多い。甲冑師が鍛造した鉄鐔を手に取ると、単純明快な意匠を透かす新鮮な感覚があります。